進むも地獄、進まざるも地獄
様々な代償を支払うことでたどり着く境地『童貞』。
この高みに到達した者の内ある者は悟りを開き。またある者は自身の歩んだ道のりを振り返り涙に濡れると言う。過ぎ去った過去はいくら待とうとも帰ってはこない、ただただ時間だけが無様にも過ぎ去るのみである。生命がひとつの大きな輪を描きその狭間を行きつ戻りつするのが人生であるのならば、童貞とはまさに『生命』に対する反逆の狼煙と言えよう。
そのような過酷な道から多くの童貞有力者達が逃げ出したとして、一体誰が彼らを攻める事ができようものだろうか私にはとても辛く苦々しいこの苦境から逃げ出したた彼らを罵る事は出来ない。
人が童貞で在り続ける事とは『義務』でもなければ『使命』でもない言うなれば『生き様』だろうか、そう人は童貞であり続ける事から逃げ出してもいいのである。
安西先生、セックスがしたいです
人生は諦めたらソコでなにもかもがお終いですよ?
『童貞』である事を諦め異性(あるいは同性)とのセックスを求める事は種としては自然の行動、まさに生きる為の生存本能であり生存戦略と言えよう、ほの暗く、険しく、どこまでも続く永遠にすら錯覚する『童貞道』から解脱した彼らである、ほとばしる異性への欲求は留まるところを知らず悪戯に引かれた引き金は悲しみの涙をむなしく弧を描き漏らす事は最早避ける事はできないだろう。
永きに渡って童貞という名の檻に封じられていた眠れる野獣が解き放たれた時、男は世界の中心で愛を叫び求める一匹の餓狼と化す事はまず間違いない。
しかし彼らは餓狼である前に一人の童貞である、異性とのコミュニケーションを何も考えずに行う事のできた無垢なる時期は遠く彼方へと過ぎ去り、置き去りにされた異性への幼い精神に比べて肉体はあまりにも時が経ち過ぎていた、まさにアンバランスな様相を示す彼らの童貞体にとってリアルな女性とはまさに抜き身の刀そのものと言えるだろう。
ブラウン管の世界へ
そして多くの童貞は遠く彼方の三千世界へと手を伸ばす、抜き身の刀身がごとき現実の女性の前に飢えた虎は為す術もない事は誰の目にも明らかでありその結果、童貞として彼らは三次元への未練を捨て二次元への悟りを開くのである。
傷つくのは自分一人だけでいい、童貞の『セックス』に対する妄想は信仰へと昇華された瞬間である、このブラウン管の世界では多くの女性が童貞達と青春の日々を駆け抜ける、永きに渡って辛く苦しい童貞の日々を過した彼らにとって8000円で手に入る『俺の嫁』の誘惑を振り切る事は難しい。